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パビスタンプは日本の気候風土に似た地中海地方で生まれた建材です。日本の気候風土に非常に適した塗り壁材です。
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2009/05/31(Sun)
●ひどい政府は愚かな民が作る。
今の世の、御時勢を表している言葉である。私は建築に携わっていりので、 〔 ひどい住宅は、愚かな国民が作る〕と申し上げたい。
今から述べる文章は、明治5年、福澤諭吉、小幡篤次郎によって書かれた学問のすすめの一節である。
世の中で、学問のない国民ほど哀れで憎むべきものはない。知恵がないのが極まると恥を知らなくなる。自分の無知のゆえに貧乏になり、経済的に追い込まれたときに、自分の身を反省せずに金持ちをうらんだり、はなはだしくなると、集団で乱暴をするということもある。これは恥しらずであり、法を おそれない行為である。世の中の法律を頼りにして、身の安全を保って社会生活をしているにも関わらず、依存するところは依存しておきながら、都合が悪くなると自分の私利私欲のために法律を破ってしまうやyすがいる。 矛盾していないだろうか。
もともと家柄がよく、財産があるものも、お金を蓄えることは知っていながら 、自分の子供をきちんと教育することを知らない。きちょんと教育されなかった子供たちが、また愚かになっていくことも不思議ではない。 そうした人間は、やりたい放題するようになって先祖から受け継いだ財産を すぐなくしてしまう。こうした愚かな民を支配するには、道理で論じても無理なので、威力でおどすしかない。 西洋のことわざにある、(愚かな民の上には、厳しい政府がある)というのは このことだ。これは政府が厳しいというより、民が愚かであることから、自ら 招いたわざわいである。愚かな民の上に厳しい政府があるとするならば、よい民の上には、よい政府がある。という理屈になる。いまこの日本においても、このレベルの人民があるから、このレベルの政府があうrのだ。
もしも、国民の徳の水準が落ちて、より無学になることがあったら、政府の法律もいっそう厳重になるだろう。もしも反対に、国民がみな学問を志して 物事の筋道を知って、文明を身につけるようになれば、法律もまた寛容になっていくだろう。法律が厳しかったり寛容だったりするのは、ただ国民に徳があるかないかによって変ってくるものなのである。 厳しい政治を好んで、より政治を好むものは誰もいない。自国が豊かになり 、強くなることを願わないものはいない。外国にあなどることをよしとするものもいない。これは人の当然の感情である。 今の世の中に生まれて、国をよくしようと思うものは、何もそれほど苦悩する必要もない。大事なことは、人としての当然の感情に基ついて、自分の行動を正しくし、熱心に勉強し、広く知識を得て、それぞれの社会的役割に相応しい知識や人間性を備えることだ、そうすれば、政府は政治をしやすくなり、国民は苦しむことがなくなり、お互いに、責任を果たすことができる。 そうやってこの国の平和と安定を守ることだ大切なのだ。 私がすすめている学問をいうものも、ひたすらこれを目的としている。
福澤諭吉 斉藤 孝訳 学問のすすめ。 ちくま新書 発行者 菊池明朗
ボンスマイネ代表より。
by vonsumaine |
2009/05/31 20:15:15 |
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